- 2015-7-27
- こぼれ話, ブランディング研究室
- エンタテイメント思考
先日、食事会で
「エンタテイメント」とは何なのか?
というお題で皆で盛り上がった。
商売において非常に重要な要素なのにも
関わらず、大いなる誤解をされているこの言葉。
残念ながら
自分は相手を笑わせるセンスも無い
し、相手をワクワク・ドキドキさせる
ような凄い経験やネタも無い平凡な人間だ。
相手を楽しませたり、
ワクワク・ドキドキさせられるのは、
選ばれし一部の人が持つ、まさに
神から与えられし能力なのだ。
というイメージを持たれがちなようだ。
そして前回も書いたけど、
ひとつめの誤解とは
エンタメというものは相手を楽しませるもの
というものだった。
今日はもうひとつの誤解について
考えてみよう。
ちなみに
前回の記事「ひとつめの誤解」について
はこちら。
「エンタテイメント」におけるふたつめの誤解
それは、ひとつめの誤解と
繋がるんだけど
エンタメは選ばれし人間のみが持つ力、という間違い
というものだ。
前回お伝えしたように、
エンタメというものは
何らかの刺激や感情の揺さぶりがある
というもので、ただ単にワクワクする
とか笑顔になるとか感動するとか、
そういうこと「だけ」が
エンタテイメントということではない。
・・・ということは、別に
「相手を笑わせるセンス」とか
「相手をワクワク・ドキドキさせる
ような凄い経験やネタ」
が無くたって、エンタテイメント要素を
出すことは可能なんだということ。
あなたがこれまで生きてきた道のりが、
立派な「エンターテイメント」であり、
即ちあなた自身が、立派な「エンターテイナー」なんだ。
「自分自身の良さ」を「きちんと」出す
それこそが
「誰もがエンターテイナー」になれる道
である、ということ。
これもその食事会の場にいた全員が
納得したことだ。
「自分の良さをきちんと出す」ということ
もちろん「言うは易し、行うは難し」
な部分はあると思う。
でもその最も大きな原因は、多くの人が
「自分に対する無知と無理解」という「鎖」
に縛られているからだ。
自分の魅力が何で、自分が他者や世界に
どんな価値を提供できるのかを
知らないし、知ろうとしない。
だからトンチンカンなセミナーとか、
トンチンカンなメディアに振り回されてしまう。
「自分探し」とか
「ありのままの自分」みたいな、
「ある種の奴隷制度」に縛られてしまうんだ。
だからこそ、ブランドになれている人は
それほど多くないし、逆にそれが出来れ
ばブランドになるのは早い、
ということなんだよね。
(ちなみに「自分探し」とか
「ありのまま」というものが間違って
いる訳ではない。誤解されている、ということね)
ちょっと偉そうだけど、
敢えてはっきり言っておく。
エンタテイメントなんて、
それほど難しいことではない。
ハリウッドとか、ディズニーみたいな
ものを真似することは、中小企業とか
個人には難しいけれど、とは言っても
そういうものだけがエンタテイメントじゃない。
相手の感情が、相手の心が動くこと、
それがエンタテイメントだ。
(そのエンタテイメントが、良いか悪い
かはその「動き方」で変わってくるのだけれど)
もう一度言わせてほしい。
あなたがこれまで生きてきた道のりが、立派な「エンターテイメント」であり、即ちあなた自身が、立派な「エンターテイナー」なんだ。
あなたの今まで歩んできた道、これから歩む道こそが、「エンタテイメント」たり得るものなんだ。
どうか、そこに気づいてほしい。
阿部 龍太
【追伸】
前回例として出した元フジテレビの
プロデューサーで「視聴率の怪物」と
呼ばれた王東順氏の企画セミナー。
彼は会場の椅子の裏にくじを貼付けて
おり、当たりくじの席に座った人に
プレゼントを渡していた。
お金もかからないし、
特別なテクニックも要らない、
でも人の心は動く。
これも立派な「エンタテイメント」だ。