コミュニケーションって、そういうもの。 〜コミュニケーションの本質(その2)〜

「あえて言おう、●●であると!!」

のシリーズも終盤に入ってきた。

 

第一回ではまりちゃんの
「非言語コミュニケーション講座」のレポート
を、

第二回では
「非言語コミュニケーション」
というものについての具体例
を出した。

そして第三回は、
人によってコミュニケーションの
結果に差が出ることについての考察
を、

第四回はまとめ(その1)として、
コピーライティングで彼女が出来た
男の話
をしつつ、第三回で話した
「愛」について少し掘り下げてみた。

 

今回は「まとめ(その2)」として、
「コミュニケーションスキル」と
いうものについて考えてみようと思う。


結局は「そういうこと」なんだよ。

これまで、色々お伝えしてきたんだけれ
ど、ちょっとここで一度、考えてほしい。

図らずも今回のシリーズのきっかけと
なったまりちゃんは、

「コミュニケーションスキル」

を学んだから、ケアリングクラウン
としてレベルが上がったのだろうか?

 

また、僕が以前開催した
コピーライティングセミナーの受講生さんは、

「コピーライティングスキル」

を学んだから、彼女が出来たのだろうか?

 

あえて言おう。否、であると。

 

もちろん彼女や彼がスキルを一所懸命
学んだのは事実だし、そのスキルが、
得られた成果のきっかけの一つになったのも事実だろう。

では、彼女たちと同じくらい
スキルを学べば、誰でも彼女たちと
同じような成果を得られるのだろうか?

残念ながら違う。

同じスキルを学んでも、それによって
成果を得られる人とそうでない人に
分かれてしまうし、そもそも
スキルを学ばなくても成果を得られる人だっている。

ではこれらを分つものは、
鍵となるものは何なのだろうか?

 

そもそも、スキルとは何なのだろうか?

僕の考えでは、
スキルはあくまでもスキル。
つまり「道具」だ。

道具は持つことによってではなく、
使いこなすことによって世界を変えることが出来る。

そうして我々人類は
ここまで種を存続させてきた訳で。

もし我々のご先祖が、石器を作り出した
だけで満足し、それを使わないでいた
ら、今この世界に生きている種は
「ホモ・サピエンス」ではない、
別のものだった可能性もある。

 

それと同じで、
コミュニケーションスキルという
「道具」をただ持っているだけでは、
ただ学んだだけでは、何も変わらない。

使いこなすことが大切だ。
それもより広く、より深く、より細やかに。

そして「使いこなす」ために最も必要なのは

「目の前の人を笑顔にしたい。
元気になってもらいたい」

という

「相手に対する思いやりや愛情」

という「ある種の意図」ではないだろうか。

 

別にこれは僕の感傷的な意見でも
何でも無い。

「コミュニケーション」というものの
「本来の意味」はそういうものだからだ。

それを次回にお伝えしようと思う。

 

阿部 龍太

 

【追伸】

「愛」とか「思いやり」が大切だ、って
言っても、具体的に行動でそれを表す
のは簡単ではない。

自分はよかれと思ったことが、
相手にとってはそうでなかったりして
しまうことって少なくないと思う。

「適切な間合いをとる」ことが、
実は非常〜〜〜〜〜に重要だったりするんだよね。

その辺りも今後書いていけたらと
思っている。

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