言霊とコミュニケーション 〜コミュニケーション番外編〜

「言霊」って、そんなもの?

先日「今回が最終回」とか言ったけど、
とあるメッセージをいただいたので
ちょっとそれについて書いてみようと思う。

(メッセージを送ってくれたKさん、
どうもありがとう!)


「言霊」という概念がある。

「言葉には力が宿っている」

というものらしい。

だから良い言葉を使いましょう。

・・・みたいなことがよく言われている
んだけど、僕はこの考え方には
ちょっと疑問を感じている。

 

「言霊」と「コミュニケーション」

「感情はどうでもいいから、
とにかくいい言葉を使いましょう」

という人もいるけれど、個人的には
「良い言葉を使う」だけでいいとは思えない。

同じ言葉でも、それを使う人によって、
その言葉の持つ「力」は、言い方を
換えれば「言葉の伝わり方」は
変わってくるのではないだろうか。

言葉だけに力があるのならば、
なぜ、今回例示したとあるホテルでの
事例
では、その場にいた人
(僕と打ち合わせ相手の計7名)の全員が

「申し訳ありません」

という相手の言葉に対して、
その言葉の力を感じられなかったのだろうか?

(皆の性格が悪かっただけだったりして・・・)

 

「言葉には力が宿っている」

このことを否定するつもりは無いし、
むしろその通りだと思っている。

しかし、その言葉を使う「人間」に
よって、「言葉に宿っている力」を
増大させられたり、逆にその力を弱め、
消してしまうということもあるの
ではないか、と思うんだ。

怒りや悲しみが心に残っているのに、
言葉だけ「感謝します」とか
「ツイてる」とか言ったって、
その言葉の持つ力が発揮できる
どころか、その感情が足を引っ張って
しまい、その逆のことが起こって
しまいかねないのではないか、と思うんだ。

 

この記事でも書いたけれど、
マザー・テレサやウィリアム・
ジェームズの言うような要素を大切に
すること、つまり「人間としての器」
を大きくすること

「言葉に宿っている力」

すなわち「言霊」の力を
最大限に発揮できるポイント
なのではないかと思う。

だから単に言葉「だけ」に気をつけて
いても、薄っぺらい関係でよければ
ともかく、深い関係性を築きたい、
「良い」ブランドを構築したいので
あればそれでは不十分、ということなんだ。

 

蛇足だけどこれって、アリストテレスの
「弁論術」と近いものがあるのかもしれないね。

「(レベルの低い)ロゴス」だけでは
不十分なんだよ、ってこと。

(これも面白いからまたいつか書いてみたい)

 

力を失った言葉というのは薄っぺらく
なってしまうものだし、そういう言葉
を使えば使う程、人間としての
薄っぺらさが目立つようになってしまう。

そして、そういう人間が築く関係性、
すなわち「縁(=ブランド)」は、
結果として薄っぺらいものになってしまうんだ。

 

今回お伝えした

「非言語コミュニケーション」

とは、ある意味、この「魂」の
部分に相当するものなのではないかと思う。

 

ケアリングクラウンは
言葉が通じなくても、

「目の前の人に笑顔になって
もらいたい、元気になってもらいたい」

という「愛」があるから、
「言語」によるコミュニケーションが
不十分だったとしても、相手に笑顔に
なってもらうことが出来る。

でも、あのメディアとか、
あの人とか、あの企業とかが
発する言葉が薄っぺらくて
聞いてていい気持ちがしないのは、
そこに彼ら自身の「魂」がこもっていないからだ。

あのホテルのスタッフさんも
「申し訳ありませんでした」という
「言葉」に対して、それと同じ
「魂」がこもっていなかったから、
その言葉が伝わらなかった。

逆にまりちゃんとか、
僕のコピーライティングセミナーに
来てくれた彼とかは、心底

「相手に元気になってもらいたい」

という「魂」をこめていたし、
その上で「適切な言葉」を使っていた。

だから相手に伝わったし、
結果として相手も喜んでくれた。

 

もちろん前回の追伸でもお伝えした
ように「言語」も大切。

でも言語だけではまだ、
車の片輪に過ぎない。

「言語」と「非言語」の両輪が
必要なんだ。

 

言霊も、コミュニケーションも、
もっともっと奥が深いものなんだと思う。

 

阿部 龍太

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