「森のイスキア」での思い出 〜「日本のマザーテレサ」が教えてくれた事(最終回)〜

森のイスキアにて

「日本のマザーテレサ」こと、
佐藤初女さんから伺ったお話のシェア。

最終回は、昨年の夏に「森のイスキア」
にて、初女さんとお逢いできた時の
思い出を書こうと思う。

 

ちなみに、過去記事はこちらから。

→第一話 「日本のマザーテレサ」が教えてくれた事

→第二話 「手をかけ、そして引き出す」という事

→第三話 「待つこと」の力

 

「透明である事」の意味

恥ずかしい話だが、僕は実際にお逢い
するまで、佐藤初女さんという方の事を
あまり知らなかった。

最初は「森のイスキア」と聞いて

「イスキアって何だろ?」

とか思っていたくらいだ。
(初女さん、ごめんなさい)

ちなみに「イスキア」とはイタリアに
実在する島の名前だ。

ある生きる気力を失ってしまった男が
この島で自分自身を見つめ直し、再び
生きる気力を取り戻したという逸話があるそうだ。

そんな風に心が辛い時に癒される場所に
したいという願いを込めて

「森のイスキア」

と名付けられたとの事。

その名前の通り、今では数多くの人の心
を癒す場所となっている。

「森のイスキア」。多くの人たちを癒してくれる場所だ。

「森のイスキア」多くの人たちを癒してくれる場所だ。

 

著書やインタビューで初女さんは

「透明である事の重要性」

について、よくお話されている。

 

現在の自分のありのままを見せる。

自分を良く見せようと思わない。

一生懸命になろうとか思わず、
そのままでいい。

神様から見たら、偉い人も
偉くない人もいない。
皆等しいのだから。

 

そういう意味合いを込めて

「透明である事」

が重要なのだと
定義されているのだそうだ。

 

実際に初女さんと「森のイスキア」で
初女さんとお逢いした時の印象は
まさに「透明な存在」だった。

非常に「さりげない」存在感。

まったくと言っていいほど
自己主張がない。

だからといって存在感が無い
という訳ではない。

そこに確実にいてくれている
という安心感がある。

 

目立たないけれど、暖かい。
そんな「透明な方」だった。

佐藤初女さん

佐藤初女さん。本当に「透明な人」という表現が相応しい

 あまり体調が優れないとの事だったが、
昼食をご一緒していただけた。

「いらっしゃるのを、ずっとお待ちしていました」

何気ない一言ひとことが心に響く。

決して饒舌という訳ではないし、声が
大きい訳でもない。

しかし、しっかりとした口調で、
丁寧に言葉をお使いになっているのが
印象的だった。

 

同じ部屋で、同じテーブルで、
一緒に食事をしていた中で、
彼女を中心に空気が軽く、柔らかく、
暖かになっていくような。

そういう雰囲気を感じられた。

ある意味「パワースポット」のような方
と言っても過言ではないだろう。

 

驚くべき初体験。

ところで、僕は糠漬けの臭いが苦手で
どうしても食べられない。

今までの人生の中で、
一度も食べた事が無いくらいだ。

 

ところが、初女さんの漬けた糠漬けが
僕の人生の新たな扉を開いてくれた。

あの胸を苦しませる嫌な臭いが
全く無く、普通に食べる事ができたのだ。

 

初女さんは漬け物を作る際、訪れる方の
名前が予め分かっている場合は

「●●さんに美味しく食べてもらえますように」

という想いを込めながら作られるのだそうだ。

そういう想いがこもっているからこそ、
漬け物が苦手な僕でも自然に口にできた
のではないか。

科学的な証明は何もできないけれど、
実際に食べた身としては、そうとしか
思えなかった。

本当に「食」は奥が深い。
改めてそう思わされる経験だった。

森のイスキアでいただいた食事

森のイスキアでいただいた食事。苦手な糠漬けも食べられました。

 食事が終わって、お暇する時、
初女さんが玄関口で見送って下さった。

僕たちの車が動いているときも、
ずっと見送って下さっていた。

恐らく、見えなくなるまで見送って
下さっていたのではないだろうか。

体調が優れない中、最後まで見送って下さった初女さん。

体調が優れない中、最後まで見送って下さった初女さん。

 

「おもてなし」って言うけれど・・・

「おもてなし」

という言葉を使う人が最近多いけれど、
個人的には

「どうだ!このおもてなし、すごいでしょ!」

というような主張を感じるものが
少なくない気がする。

そうではなく、初女さんのような

「さりげない、あるがままの在り方」

こそが「おもてなし」というものに
必要なものなのではないだろうか。

 

個人的な意見になるが、
彼女のおもてなしは

「すごい!最高!こんなのはぢめて!
全米が泣いた!ヒデキカンゲキ!」

というようなものではない。

しかし、静かな喜びを、じんわりと
感じられるものだ。

前者が

テーマパークで楽しく
盛り上がるようなイメージ

ならば、後者は

日だまりの中で寝転んで日向ぼっこを
するような、自然と一体化して
「生命」というものを感じられる
ような、そんなイメージ。

もちろん、どちらが良い・悪いという
ものではない。

状況や場によって、
求められるものは変わるからだ。

ただ、色々なタイプの「おもてなし」が
あるのだということを体感できたのは
個人的に興味深い体験だった。

初女さん、ありがとうございました。

初女さん、イスキアのみなさん、ありがとうございました。

 

初女さん、イスキアのみなさん、
本当にありがとうございました。

学ばせていただいた事、僕のこれからの
人生で一人でも多くの方に伝えていきます。

ゆっくりお休みになって下さい。
ありがとうございました。

 

阿部 龍太

 

【追伸】

「使える」ブランディングについての
より深い情報や、あまり表には出せない
裏話等は、メルマガで書いてます。

もしよろしければこちらから登録してください。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る