【恐怖体験?】夜中に新サービスのレターを書いていたら・・・

「ある」という事はなんと有り難いことか。

今、新サービスのレターを書いている。

商売と人生、双方に効くサービスで、
僕自身もちょっと楽しみなんだけど、
それはレターを見ていただくとして、
今日お伝えしたいのはその事じゃない。

 

昨晩の事だ。

 

レターを書いていたらいつの間にか机で
寝てしまっていた。

時計を見たらすっかり夜中。

最後に意識を失う前から7時間近く
経っている。

最近寝不足気味だったとは言え、
机の上でよくそんなに熟睡できたな、
と苦笑しながら目をこすろうとしたら・・・

 

 

腕が無い。

 

 

いや、正確には、腕の感覚がない。

変な体勢で寝てしまったせいで腕が
痺れてしまったのか、腕が全く動かないんだ。

壊れたロボットのおもちゃみたいな感じ。

 

腕はある。と言うか目には見えている。

しかし感覚がない。

腕を曲げようとしたり、手を握ろうと
しても、力が入らない。

肩から先が無くなってしまったような、
とても奇妙な感覚だった。

 

数分後には腕の感覚が復活し、めでたく
僕は目をこする事が出来たんだけど、
この経験で

「自分は恵まれているんだな」

という事を改めて実感した。

 

 

僕には両腕がある。両手がある。

生まれてから今までずっと。

 

だから、この

「両腕がある。両手がある」

という事が僕の中では

「当たり前の事」

になっていたように思う。

 

でも、この「(腕が)ある」という事は
本当に「当たり前」の事なのだろうか?

今回の事で、この事を考えさせられた。

 

哲学者のハイデガーは

「『ある』という事はどういう事か」

という「存在論」について一生をかけて考えた。

 

「人間は『死への存在』である事を
直視するべきである」

という事を言っているハイデガーは

「『そこに何かがある』という事は、当たり前の事ではなく、特別な事なのだ。

だからこそ、世界は驚きと感動に満ちており、そしてあなたはその世界の中で生きる栄誉を得られた素晴らしい存在なのだ」

という事を我々に伝えてくれている
ように思えてならない。

 

ここ数年、家族や友人に色々な事が
起こり、生きるという事について
考えているつもりではあったけど、
今回の経験でその気持ちが少し
薄れていた事を反省できた。

自分にあるもの全てに感謝できる自分で
ありたいし、そうあろうと強く思った。

 

って、早くレター書かなくっちゃ(汗)

 

阿部 龍太

 

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