ブランドは誰が決める? 〜そもそも「ブランドって何だろう?」その2〜

ブランドって、誰が決めるの?

「Aという企業ってブランドですか?」

「Bという商品はブランドですか?」

みたいな質問を受けることがある。

この質問、実は「ブランド」という
ものを理解する上で、結構重要な
要素を指していたりする。

今日はその辺りについて
考えてみようと思う。


「ブランドは誰が決めるものなの?」

と聞かれたら、
あなたはすぐに答えられるだろうか?

もう少し違う言葉を使うのであれば

「Aという企業はブランドであり、Bという企業はブランドではない」という判断は、何によって決められるのか?

ということだ。

 

国の認定?

マスコミのお墨付き?

研究者とか権威者の推薦?

 

少し、自分の頭で考えてみてほしい。

 

 

 

 

 

考えた?

 

 

 

 

 

本当に考えた?

 

 

 

 

 

本当に・・・って、
これ以上引っ張ったら
誰も読まなくなっちゃうかな(笑)

では僕の考えを。

 

誰がブランドを決めるのか?

「ブランドは誰がそう決めるのか?」

「Aという企業はブランドであり、Bという企業はブランドではない」
という判断は、何によって決められるのか?

 

それは「受け手の主観」つまり受け手自身によって決められるんだ。

 

国が何と言おうとも、

マスコミが何と言おうとも、

研究者や権威者が何と言おうとも、

それを見たり聞いたりした人が、
最終的に評価を下す。

(残念ながら多くの人たちが
上記の情報に惑わされてしまう
という現状があるのだけどね)

 

そういう意味ではブランドとは

「情報の発信者」

「情報の受信者」

の双方が存在する

「コミュニケーション」

とも言えるものだ。

 

そして、コミュニケーション
というものは

「最終的には受け手によって決められる」

という要素がある。

それをよく表すエピソードをご紹介しよう。

 

僕が高校生の時、
日焼けの黒さだけなら
全国上位レベルだった頃の話だ。

 

ある日の部活の練習中、
監督のカミナリが落ちてきた。

「もっと声を出してパスを要求しろ」
(本当は関西弁でこの894倍くらい怖い)

でも僕は声を出して要求していたため
監督の言う意味が分からず、心の中に
あった、なけなしの勇気を振り絞ってそう伝えた。

それに対する監督の意見はこうだ。

「聞こえなかったら、言っていないのと同じことだ」
(本当は関西弁でこの894倍くらい怖い)

当時は「そんなご無体な」と思ったが、
今思えばこれはある意味、真理を鋭く
抉っていると思う。

 

あなたが相手を褒めたとしても、
たまたま相手の機嫌が悪かったりして
それを皮肉に受け取られてしまったら、
それは

「相手にとってはネガティブなもの」

になってしまうんだ。

いくらあなたが、精魂込めて
作ったものでも、相手に全く評価
されなかったら、それは残念ながら
「良いもの」として認識されない。

画家のゴッホなんかがいい例だと思う。

彼が生きている時と現在で、
どんな評価をされていたか、
どれくらい絵が売れたか、
その違いを少し調べてみてほしい。

そうすれば、僕がここで
伝えようとしていることを
理解してもらえると思う。

 

ブランドとは、
「最終的に」相手の心の中にある。

相手の心、相手の「主観」が
決めるものなんだ。

このことをきっちり、
覚えておいてほしい。

 

ブランドは「最終的に」相手の心、
相手の主観によって決められるもの。

次回はこの言葉について、
もう少し深く掘り下げてみようと思う。

お楽しみに。

 

 

次回に続く →to be continued…

 

阿部 龍太

 

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