あなたのその「夢」、ホンモノですか?

「その夢、ホンモノ?」

前回
「本当に欲しているものを知らない人」
というものについて考えてみました

今回は前回の続きを。

「なぜ本当に欲しているものが分からないのか?」

について考えてみようと思います。


前回は、tsuという一瞬流行ったsnsを例
にして

「先の事を見ようとしないことの愚かさ」

について考えてみました。

もちろん

「先の事ばかり考えていたら何も進めない」

という意見もあると思うし、
確かに言っていることはその通りだと思います。

でもね、僕に言わせると、
そういうことを言う人の多くは

「考えてなさすぎ」

なんですよね。

 

例えば、上で例に出した「tsu」の件に
ついては、ちょっと情報を集めて、
ちょっと考えたら、この先どうなるか
ということは何となくイメージできるはず。

tsuの仕組みがどういうもので、
お金がどのように流れ、そして
ねずみ講というものがどういうもので、
この世界でどういう扱いを受けるのか。

少なくともネットに接続できる
リテラシーがある人なら

「その気になれば」

誰でも簡単に調べられるはずなんですよ。

だって「tsu」ってgoogleに入力するだけ
で上記の情報は出てきますから。

tsuの名前を知っていて、興味のある人
なら誰でも可能なんです。

 

でも、「tsu」をやっている人何人かに
聞いてみたのですが、彼らは

「これをやると簡単に儲かる」

という思考が強く、それを否定する
他の情報から目も耳も背けてしまっていました。

つまり

「自分の勝手な欲望」

のみで動いていた訳です。

そして、その「自分の勝手な欲望」に
踊らされた人がさらにtsuに加入し、
さらに他の人を自分の勝手な欲望と
いう地獄の舞台で踊らせるといった

「絶望的な欲望のダンスの輪」

が続いてくんですよね。

 

「先の事を考えすぎて動けない」のも
「先の事を何も考えない」というのも
問題なんだ、ということなんです。

釈迦の言う通り、人間は無知で愚かな
生き物なのですから。

 

で、こういう事を言うと

「人の夢を否定する権利はお前に無い」

というご意見を頂戴したりします。

でもこれこそが「無知ゆえの愚かさ」の
現れなのだ、というのが僕の意見です。

つまり

そもそも「夢」という言葉を使うのが間違いである。

ということ。

それは「夢」ではなく、上で出た
「自分の勝手な欲望」つまり

「我欲」

というものです。

 

「夢と我欲」は違う。まったくの別物である。

僕はそう思います。

 

あくまでも僕の定義になりますが

「夢」は「己のしたい事で、
己と周りの人がハッピーになれるもの」

「我欲」は「己のしたい事で、
己のみがハッピーになれるもの」

というものです。

 

上述のtsuの例では、完全に「我欲」で
動いている人たちばかりでした。

お金が欲しい。●●を買いたい。▲▲に行きたい・・・

もちろん中には「家族のため」と言う人もいました。

でも

「今あなたがやっている事を、
家族の目の前で胸を張って語れますか?」

という質問にその人は答える事は出来ませんでした。

 

大切な人の前で胸を張って語れない。
それは夢ではない。僕はそう思っています。

先日の「仕事のかきくけこ」でも
書きましたが、「志」が無いと、
世の中がつまらないものに感じてしまいます。

そうなると、自分の人生も
つまらないものになる。

つまり「つまらないブランド」を
構築してしまうんです。

 

さて、あなたは何を求めていますか?

そして、それは本当に、あなたが望んでいることですか?

 

阿部 龍太

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