そのラーメンは「不味い」のか? 〜「自由な思考」のススメ(その1)〜

そのラーメン、本当にマズい?それとも・・・

常に興味深い話を聞いたので、
少しここでシェアしたい。

 

突然だけど

「あなたは、“自由に”考えることができていますか?」

と質問されたら、何と答えるだろうか?

 

多分、多くの人が

「自分の今の思考は、
自分で考えている”自由な思考”だ」

と言うと思う。

 

でも、実際は「自由に考える」という
ことは、僕も含めて出来ていない人の方が多い。

多くの人が「不自由な思考」に
陥ってしまっている。

そしてその結果、人生そのものを
不自由にしてしまっているんだ。

 

そもそも「自由に考える」とは、
どういうことなんだろう?

一言で言うならば

自分の感情、自分の価値観に囚われずに、物事を判断する

ということだ。

 

例えば、僕は油こってりのラーメンが
苦手なんだけど、だからと言って、
そのラーメンが「不味い」という
訳ではないよね。

僕個人が「苦手」なだけだ。

 

でも、その区別が出来ないと、

「うわっ、このラーメン不味い!最悪!」

という「不自由な思考」に陥ってしまう。

 

別の例を出すなら、
ブランドコンサルをする際に

「この企業(お店)はお客様の視点に
立ってないなあ」

と思う時が多々あるけれど、それは

「僕個人がそういう企業やお店を
問題だと思っているだけ」

で、

「その企業やお店がダメな企業・ダメなお店」

なのかどうかはまた別の話なんだ。

そういう企業やお店であっても、
メディア露出とかの影響でお客様が
来てくれている場合もあるしね。

(まぁ、実際はそうじゃない方が多いけど・・・)

 

つまり「不自由な思考」とは

自分の「好き嫌い」で「善悪」を決定する

という思考パターン、つまり

 

自分の好きなもの、自分の価値観に
合っているもの=「正義」

自分の嫌いなもの、自分の価値観に
合っていないもの=「悪」

 

という非常に短絡的で、非常に恐ろしい
結果を産み出してしまうものなんだ。

 

「狂信者」と呼ばれる人たちなんかは
まさにそういう傾向があるよね。

自分だけの価値観、自分だけの感情で、
世界を「敵」と「味方」に分けてしまう。

これって、すごくもったいないこと
だと思うんだ。

 

「好き・嫌い」の感情を持つことが
悪いんじゃない。

にんげんだもの。
感情を持つのは当然だ。

だから良い感情の時も、
そうでない感情の時もある。

 

でもその感情だけで
「善悪を判断する」ことが問題なんだ。

「好き・嫌い」という

「感情の脊髄反射による判断」

それが「不自由な思考」の
根本にあるものだ。

そして、そういう思考を続けていると、
人間として可能性豊かな人生を送る
ことが難しくなってくる。

物理的にも、精神的にも、
人生そのものが不自由になってしまうんだ。

 

この「不自由な思考」から、
どうすれば脱することができるのか?

それは、「自分の感情」という
「一つだけの視点」ではなく、他の視点
も考慮して「妥当性のある判断」をする必要がある。

というのが現時点での僕の意見だ。

この世界には、僕やあなたの視点だけ
ではなく、色々な人の色々な視点がある。

全てをカバーするのは難しいと思う
けれど、ひとつでも多くの視点を
押さえ、その上でこの世界において
「妥当性のある」判断をする必要がある。

 

我々はこの世界に、一人きりで
生きている訳ではないのだから。

 

次回はこの「不自由な思考」を
商売の側面から考えてみたい。

 

次回に続く→ to be continued…

 

阿部 龍太

 

【追伸】

メディアとか見てると、まさにこういう
思考で動いているし、そしてこういう
思考をする人を増やそうとしているように思える。

感情的な脊髄反射で物事を判断し、
自分の価値観に合わないものをただただ
バッシングする、そういうレベルから早く脱したいよね。

 

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