言葉のチカラ(その1) 〜ある塾の先生の指導のすごさ〜

「教師」と「教育者」

先日、ちょっと面白い出来事に出会った。

「言葉の使い方によって得られるものの違い」

に関するものだ。

で、このことを書こうと思った
んだけど、ふと思い出した事があった
ので、今日はその事について考えてみようと思う。

 

あなたには「恩師」と呼べる存在は
あるだろうか?

単に学校のクラスの担任だったとか、
学科の担当だったとか、そういう形式ではなくて、

「この人から学べて良かった」

と思えるような人。

あなたにとっての「ブランド」に
なっているような指導者。

そういう人はいるだろうか?

 

僕は学校や塾や社会の中で色々な人に
学ぶ機会があったけれど、その中で
この意味での「恩師」と呼べる人が何人かいる。

 

中学の時に通っていた塾で数学を教えて
いたM先生がそのひとりだ。

彼の生徒に対する態度が非常に興味
深く、学びになる点が多いので、
ちょっとこの場で紹介させてもらおうと思う。

 

僕は中学の時、数学が結構好きだった
し、成績もそれなりに良かった。

それはこのM先生の影響が大きかったと思う。

 

彼の最も大きな特色は、生徒に対する
「コミュニケーション」だ。

具体的に言えば、彼は生徒が正解を出せば

「よし正解!」

と良い、間違えた答えを出した場合は

「惜しい!」

としか言わない。

 

やる気の無い生徒を叱る事はあっても、
出来の悪い生徒に否定的な態度を取る
ような事は全く無い。

アグレッシブでポジティブな先生だった。

 

今思えば、彼は「教える」ということが
本当に好きだったんだと思う。

そして、彼が「教えたかった事」とは、
ただ単に数学の問題が解けるようになる
こと、二次方程式とか接舷定理とかを
理解するだけではなく、それ以上に

分からなかった事が分かるようになる喜び

というものを、我々生徒に教えてくれて
いたのではないだろうか。

ただ単に成績が良くなる、テストでいい
点が取れる、それ以上のものを、僕は
彼から教わった、そんな気がしている。

そういう意味で彼は「教員」ではなく「教育者」だった。

 

「教育者」つまり「教えて育てる者」だ。

「teacher」ではなく「educator」としての存在。

ただ単に知識を伝えるのではなく、
その知識を元に相手が人間として
成長する手助けをする。

M先生はそういう「教育者」だった。

 

もしかしたらあなたは

「自分は教育とは関係ない仕事だから
 参考にならないや」

と思うかもしれない。

でも、別に学校や塾で教える人だけが
教育者ではない。

 

何かをお客様に販売している人は、
その商品によってお客様の生活が
どう豊かに、いかに素晴らしいものに
なるのかを伝えることが必須だよね。

それって、お客様に

「今まで知らなかった新たな世界」

を伝えること、つまりお客様の成長
にも繋がることだ。

 

それはもう、立派な「教育」なのではないだろうか?

 

そう僕は思うし、それこそが

「ブランディング」

の重要なポイントではないかと思っている。

 

全ての商売には「教育」の要素がある。

是非あなたもその意識を持ってみてほしい。

同じ仕事をしていても、提供できる事、
そしてそこから得られる事は、
絶対に違うものになってくるから。

 

阿部 龍太

 

【追伸1】

僕は今、恐らくあの当時のM先生と
同じか、それ以上の年齢になり、そして
ある意味、彼のような「教育者」として活動している。

ただ単にブランディングの知識を伝える
だけではなく、それによって商売人と
して、更に言えば人間としての成長の
きっかけを提供したい。

M先生が僕にしてくれたように。

 

【追伸】

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