- 2015-7-20
- こぼれ話, ブランディング研究室
- コミュニケーションの語源

いよいよ、このシリーズも最終回。
第一回ではまりちゃんの
「非言語コミュニケーション講座」のレポートを、
第二回では
「非言語コミュニケーション」
というものについての具体例を出した。
そして第三回は、
人によってコミュニケーションの
結果に差が出ることについての考察を、
第四回はまとめ(その1)として、
コピーライティングで彼女が出来た
男の話をしつつ、第三回で話した
「愛」について少し掘り下げ、
第五回ではまとめ(その2)として
「コミュニケーションスキルとは何なのか」と
いうことについて少しお伝えした。
「非言語コミュニケーション」から
始まったこのシリーズ、
最終回となる今回では
「コミュニケーションの本来の意味」
と
「我々がすべきこと」
について考えてみようと思う。
「コミュニケーション」という言葉の持つ意味
そもそも
「コミュニケーション(communication)」
の語源は、ラテン語の
communio(共に一致させる)
+
munitare(通行可能にする)
というものだとか
communicatio(共有する)
というものだと言われている。
意訳するのであれば、どちらも
「共に行うもの」
という意味と言えるだろう。
では何を「共に行う」のだろうか?
僕はこう思う。
「相手の感情、心の状態を共にする」こと
つまり前回でお伝えした
「(適切な)思いやりや愛情」を持って
相手に接することなのではないか、と。
だからこそ、まりちゃんも、
メール一本で彼女ができた彼も、
望んだ成果を得られているのではないか。
それぞれ違うスキルを学んだ訳だけど、
双方に幸運の女神が微笑んでくれた
のは、そのスキルそのものではなく、
そのスキルのベースにあった
「相手に対する思いやり」
の気持ちの強さによってだ。
テクニックはもちろん大切なものだけ
ど、そのテクニックを活かすも
殺すも、根っこにある「思い」次第
ということなんだよね。
そしてこれは、商売においても全く
同じことだと思っている。
「愛」の薄いコミュニケーションでは、
薄っぺらい関係しか、つまり
薄っぺらい縁(=ブランド)しか築けない。
もし、そういう薄っぺらい関係性で
一度売り上げを上げられたとしても、
その売り上げを継続させることは非常に困難だ。
残念ながら現在、周りに
そういった企業が少なくないのは、
お客様やスタッフさん、業者さんといった
「他者」とのコミュニケーション
において、そこにその企業の
「愛」が込められていないから。
テレビの視聴率が下がったとか、
新聞や雑誌の販売部数が下がって
きたとか、色々言われているけれど、
こういった
「●●が売れなくなってきた」
ということも、この
「コミュニケーション不全」
と無関係ではないだろう。
「●●離れ」みたいな的外れなことを
言う前に、その辺りを考えてみたら
突破口はまだまだあると思うんだよね。
さて、最後にあなたに質問だ。
これまで色々お伝えしてきたけれど、
あなたはどうだろうか?
愛を込めて商売をしているだろうか?
愛を込めてコミュニケーションを
とっているだろうか?
愛を込めて生きているだろうか?
これは僕自身も常に意識するように
しているものでもある。
少しでもそこに近づけられるよう、
お互い頑張ってまいりましょう。
阿部 龍太
【追伸】
今回のメインテーマは
「非言語」だったけれど、
もちろん「言語」も重要。
特殊能力がある訳でないのであれば、
我々人間は言語によってしか自分とも、
他者ともコミュニケーションがとれないからだ。
「言語」も「非言語」も、
どちらかが欠けていれば残念ながら
相手には伝わりにくいものになってしまう。
双方のバランスをしっかり
とっていくことが大切なんだ。
「言語」のことについても、
いつか書けたらいいな。